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水Navi---驚異のイオン水健康法 第七章 正しい食生活を考える(弱アルカリ性体質で健康を)

>>>もくじ 

電解イオン水をうまく活用し、健康生活を維持しましょう

恐るべき病人の波

こころみに朝の大病院の受付をのぞいてみよう。老幼男女の別を問わず、押すな押すなの盛況で、まったくあきれるばかりだ。それもそのはず、なかには、ちょっとしたカゼや寝冷えのためお腹をこわしたもの、わずかばかりの外傷やおできなど、街の開業医の外来で難なく治療のできる者まで、入院を要する重症患者の仲に割りこんで出番を待っているのである。これでは限られた医員や看護婦だけでは、てんてこ舞いとなってさばききれず、結局は“三時間待ちの三分間治療”となってしまうのもいたしかたないところだ。
しかし、何といっても恐るべきは、戦後の病院の絶対数の増加である。これには、いろいろな理由があげられよう自動車事故、人口の急激な増加、都会生活になれない田舎での人の激増、経済成長による浪費と暴飲暴食のため、公害、また最近は老人の無料診療や乳児検診などのためなど、いろいろだが、なんんといっても見逃せないのは、食べものの乱れから起こるいろいろな疾病の増加である。
私が校医として長年調べてきたところからも、野菜嫌いで肉や甘いものの好きな学童が多くなっている。
いっぽう、大人の世界でも戦後、肉や砂糖の消費が目立って多く、街には中華料理や洋食など多くの肉料理が氾濫し、戦前の食生活とはうって変わって、いずれもはなはだしく酸生食にかたよっているようである。
このような好き嫌いのあるわがままや、偏食による食生活の乱れを、そのままに放置しておけば、やがては肉や甘いものの代謝産物として硫酸、蓚酸、絡酸、脂肪酸、または焦性葡萄酸などが過剰にできて、そのため調節作用に障害が起こり、やがては血清中のカルシウム・イオンが低下して、予備アルカリ軍もつかいはたし、ついには、酸性体質となって、いろいろな病気のもととなるのは、火をみるより明らかである。
たとえば感染症は別として、成人病や全身病、心臓、腎臓の病気や慢性胃腸病、糖尿病、結核、通風、神経痛、その他ぜんそく、ジンマシンや湿疹など一連のアレルギー性疾患など、すべてこれが原因している。
そこで、これを是正して、いろいろな病気を予防し、治療効果をあげるためには、平素から米、肉、砂糖などの酸性食を控えめにし、アルカリ食の野菜、大豆、豆腐品、牛乳、それに骨ぐるみ食べられる小魚や昆布、わかめ、ひじきなどの海藻類を数多くてべて、酸アルカリのバランスがとれるようにしなければならない。
できれば、水を電気分解をして作ったイオン水を服用して、人間本来の姿である弱アルカリ性の体質に改善し、常に自然治癒力を強大に保ち、体力の向上と健康の増進とを積極的にはかるべきである。
「食は命なり」とは、昔からよくいわれていることだが、太陽や空気、それに衣食住と、われわれの健康を取り巻く因子の中で、直接生命につながる個人差の著明なものが食生活だ。職業や年齢、男女の別、趣味、嗜好、環境などの相違によって人おのおのに食べものの選択は異なっているが、どんな場合でも、守ってもらわなければならないのは、酸とアルカリのバランスのとれた食事である。このバランスがくずれれば酸性体質となり、病気を受け入れやすい土壌をつくってしまうことになる。

白米食を諌める

米はなんといっても日本人にとっては欠くことのできない大切な主食である。酸性食だが、炊きたてのご飯の艶や香りやおいしさは格別である。したがって、とかく食べ過ぎて胃腸にもたれたり、高血圧や糖尿病となったり、また動脈硬化を招いて脳出血を起こしやすく、東北大学名誉教授近藤正二博士によると、全国でも有数な米どころ秋田県は、そのため長寿者が少ないといわれる。しかし、同じ秋田県でも男鹿半島の戸賀村は漁村のせいもあって、とくに海草を平素から食べているため、酸・アルカリのバランスがとれ、ここだけは長寿村である。
昔からよく“百姓の一生飯”といって、力を出す農作業の重労働はカロリーが多く要求され糖質だけでなく、たんぱく質の不足を補うためにも、多量の米飯を食べなければ間にあわなかったわけだ。
だが、玄米や半搗き米と違って、白米は大切なビタミンを含む糠や胚芽が剥ぎ取られ、字え示されたようにただの「粕」となっていて生命力がなく、単に糖質と僅少なたんぱく質を保有しているに過ぎないので、真の栄養の面からみれば、残念ながら片輪な食べものといえる。
西洋文明を直輸入した従来の栄養学からみれば、たしかに立派な含水炭素だ。しかし、それは単に分析化学上の問題であって、大切な人命を守る生命医学の面からいえば、白米は理想的な食物としては明らかに失格なのである。自然食・玄米の糠の中には貴重なビタミンをはじめ、いろいろな栄養分が含有されていることは改めていうまでもあるまい。
単においしいからといって、この白米食が、今日なお大手を振ってまかり通っていることは不合理なことといわなければならない。江戸中期までは稗、粟、麦、玄米、そば、豆などの雑穀で人々は生活し、脚気の病害がなかったことを思うにつけても、半自然的な加工食については一考も二考もさせられる。
ところで、欧米とは反対に日本では胃がんの数がきわめて多いと言われる。その原因については不詳だが、胃腸の粘膜にもたれついて宿便の原因となりやすい白米のような酸性食を、野菜や海草などで中和する努力や工夫もしないで、その上なんのためらいもなく肉や白糖の酸性食をカロリーだ、スタミナだと積み重ねて摂り入れ、酸性へ酸性へと体質をゆがめていく事実があげられるのではなかろうか。
「およそガン細胞は、アルカリ性の体質の中では育つものではない」とする米国のがん研究者ランシング氏の説をふりかえるとき、白米食については十分検討してみる必要があると思う。

肉食を警戒せよ

戦前にくらべて、食生活で戦後もっとも変わったのが肉の多食だ。「四足を食べると角が生えるぞ」といってことさら敬遠した昔の話は少し大げさだが、わが国は昔から仏教の国だけに、生き物、とくに四つ足の肉食は戒律に反するためせいぜい狩に山に出て野鳥類を射止めるくらいが関の山で、動物性たんぱくは魚介類に求めるほかなかった。
ところが、その魚介類も折からの二百カイリ経済水域の設定で、これまでのように自由にクジラやマグロ、カツオなどを大量に獲っているわけにはいかなくなった。とんぱく源としては、これからは主として“畑の肉”といわれる大豆などを摂る必要があることは、この現実からも明らかである。豆腐やみそ、しょう油、納豆など良質な豆のたんぱくはわれわれの体質に深く滲みこんでいて、よくなじみ、しかも消化・吸収分解がよく、肉食のように、代謝産物としての酸を残さない。
肉類は前にも述べたように、硫酸、蓚酸、絡酸、脂肪酸などがミネラル、とくにカルシウム・イオンを中和して排出されないかぎり、体内に残って組織細胞に害を及ぼし、病気の原因となる。肉食や牛乳を同時にたくさん食べることが習慣づけられているのはそのためである。
言いかえれば、肉は野菜のようなアルカリ食品と抱き合わせで食べないと、害があるのだ。それでも、アイゼンハワーをはじめ、有名人が肉食による心臓病で斃れるケースが多く、アメリカでの死亡原因の第一位を占めている。
一方、百歳以上の高齢者の多いコーカサス地方の人々の食べものについての調べによると、第一に肉と野菜のバランスをつること、第二にハチミツ、第三にミネラルを含んだ水、という調査結果が明らかにされている。肉食がいかに注意を要する食べものであるかがわかる。
生産のための公害のたれ流しが許されるべきでないように、肉食による酸の害毒もまた、きれいに処理し、始末されるのでなければ、たいへん危険だ。なお、マグロやカツオ、ブリなどの大きな魚肉の切り身も肉類と同様酸性食品である。
とこれおで、栄養学者のなかには、人間の肉体に近い動物性のたんぱくである豚肉や牛肉を年齢にかまわず十分摂るべきだと主張する人がたいへん多い。しかし、この説は明らかにまちがっているといわなければならない。牛や馬は草や穀類しか食べないのに、なぜあのように立派な肉をつけているのだろうか。牛などは肉がしっかりしまっていて、体質もよく、自分より重い荷物を背負って、一日中、労役に堪え、なおかつへたばらないだけのスタミナと体力をもっている。
なるほど、発育期の間に動物性たんぱくである肉を適当に食べることは、体格をよくするために役立つ。しかし、一方、壮年以後の肉の多食は、中性脂肪やコエステロールのため脈管系の疾患の原因をつくり、高血圧や動脈硬化を起こして人生終着駅への急行列車となり、脳軟化症や脳出血、狭心症、心筋梗塞など、近代医学をもってしても根治しがたい病気を招来することもまた明らかののである。
何千年もの歴史をもつ欧米人の肉食を、近々8~90年の肉食の歴史しかない体質の違う日本人が、急激に、しかも無批判に摂り入れて鵜の真似をするカロリー本位の栄養論は、ウドの大木をつくるようなものであり、体格だけ考えて、体質、ひいては体力向上をおろそかにする愚論でしかない。

甘党は決定的に不利

甘党は、とかく菌や胃腸が弱く、酸性体質となって結核や糖尿病、その他の病気にかかりやすく、膚もザラついていて色艶もよくない。胃腸、とくに腸が悪いということは、消化吸収という大切な栄養物の取り入れに支障をきたすため、健康には決定的にマイナスであることは議論を要しない。
元来、腸はアルカリ性で、つねにPH7.5以上を保たないと酵素の完全な働きが行われないから、ビタミンAの合成やたんぱくの分解作業などがスムーズにいかず、あたら栄養をつぎこんでも、労多くして功は少なく、高たんぱくの貧血という皮肉な現象を招くことにもなりかねない。
慢性下痢や便秘、消化不良症、慢性胃腸炎などの病気が、体質の改善をはからないかぎり、たいへん治りにくく、かつ、どれほど健康を害するかは、その顔色を一見すれば素人にでもわかることだ。
もともと日本人の主食である米の中には、体を養うのに十分な糖質があるばかりか、米を食べ過ぎて糖尿病になる例すらある。口の中でご飯をかんでいるうちに糖分に変化するので、口の中はいわば製糖工場のようなもの。砂糖のできない国には、このように天与の砂糖が食べものの中に仕組まれているわけだ。それを、何もすき好んで遠い外国から高い船賃と税金とをはらって砂糖を仕入れることはない。しかも漂白剤を使って白くし、代謝の過程で焦性ブドウ酸という、はなはだもって性の悪い酸をつくり出すものを、お菓子や料理にむやみに使うと、天罰覿面、体は酸性体質へと偏向し、前にも述べたようないろいろな病気を引き起こすことは、あまりにも当然のことではないか。
ためしに、このようなとき、甘いもの一切ひかえ、そのかわり野菜や大豆、海草などのアルカリ食をたくさん食べるようにし、そのうえ、電解イオン水《水素豊富水》を服用してみるとよい。諸病はやがて霧散して、すみやかに健康をとりもどすこと必定。人間本来の弱アルカリ性体質にたち直るからである。
これに気づかず、気づいていても食養生を改めないで、酸性体質のまま医者よ、薬よと騒ぎ回ってみたところで、治療機転が働いてこないためムダが多く、早期治療はとうてい望めない。
根本を改めないで、枝葉末節にのみこだわっての治療を求める人や、これに迎合する人々は、真の医道から遠くはずれていることにそろそろ気づくべきである。

野菜嫌いは酸性体質になる

四季折々の新鮮な野菜が、朝の味噌汁の湯気の中で、まるで呼吸(いき)をしているように青さをまして生きいきとしている姿を見るときほど、楽しくかつ食欲をそそるものはない。というのも、自然の摂理で、植物は動物を、動物は植物を食べるのが大原則だからであろう。おかずとして、おひたしに、和えものに、漬け物にと、食膳に欠かすことのできないのが野菜であり、まことに野の幸、畑の幸、山の幸である。
口に入れて食べるだけでなく、われわれ動物は鼻からの呼吸によって、植物の作り出す酸素を吸い、かわりに炭酸ガスを吐き出して、お互いに助け合う密接な間柄にあり、切っても切れない縁で結ばれている。それなのに、学童の中には野菜嫌いの子がかなりあるのは、いったいどうしたことだろう。まことに憂うべきことといわなければならない。
野菜にはビタミンやミネラル、とくにカルシウムが含有されていることが多く、そのうえ、アルカリ性なので、米や肉、砂糖などの酸性食を中和して体の調節をはかり、健康な体質を保つのに重要なはたらきがある。その不足は栄養の障害だけでなく、体を酸性体質へ追いやってしまう。肉食の歴史に浅い日本人が、欧米人の真似をして肉を食べると、酸性体質になるのは必定だ。終戦後、にわかに街にラーメン、ギョウザ、シューマイにはじまって、肉料理やハム、ソーセージ、焼き肉など所狭しと並び立てられては思い半ばに過ぎるものがある。
私は、今日の食生活の乱れをなおすためには、何はさておいても、肉にかね合う野菜の多食が、今や絶対の至上命令であることを強調したい。
そうしたうえで、必要とあれば電解イオン水《水素豊富水》を服用して、酸性体質へ落ち込むことを未然に防ぎ、人間本来の姿であるアルカリ性の健康な体質を保持して自然治癒力を増強することが、真の栄養のあり方である。いたずらにカロリーだ、動物性たんぱくだと、明治以来の古めかしい馬鹿の一つ覚えを時を構わずくりかえす欧米直訳流の栄養論は、時代の進展にともなう食生活の変遷と、日本の風土という土壌を考えない臨床無視の愚論であり、だれがハワイ二世の二の舞を踏むおそれなしと断言できるだろうか。

日本人の体質には豆がよい

昔から日本人にとって、大切なたんぱく源である大豆や豆腐品、なかでも豆腐や油揚げ、がんもどき、納豆やみそ、しょう油にいたるまで、その良質なたんぱくはアルカリ性で、吸収も良く、“畑の肉”といわれるだけあって、栄養はもちろん、味もよく、われわれ日本人の体質的なものとなるまで溶け込んでいる。酸性のお米を主食とする日本人にとっては、天与の副食物の代表とでもいうべきなのに、戦後、学童の中には、肉や砂糖は大好きだが、豆腐や野菜は嫌いという偏食がかなりあるのには全く驚かされる。
私は、酸・アルカリ平衡を重視する立場から、また高血圧や心臓病予防の意味からも、動物性脂質をなるべく避けて、あの舌ざわりのよい豆腐や豆料理をたくさん食卓にのせるよう家族にも話、患者にもひろく呼びかけることにしている。一時はいまわしい殺菌料AF2のおかげで、なかには敬遠する人もあったようだが、いまこそ大いに大豆製品を愛用すべきだと思う。
みそ汁に、湯豆腐に、おでんに、また夏の冷やっこにと、家庭料理には一日も欠かすことのできない大豆は、長寿と関係が深く、「マメで達者に暮らしなさいよ」いうあいさつも、「豆を食べて健康で誠実に働き暮らしなさい」という意味である。まめまめしく働くことは、健康と結びつくものと考えていいからだ。
豆や豆腐はアルカリ性で、その残滓は炭酸ガスと水とになって排泄され、肉のように酸毒を体に残さないので、左党にとってもおあつらえ向きの肴とおぼえていただきたい。
また近年、豆乳として市販される大豆の汁液は栄養価もあり、味もなかなかよく、あつ乳糖を含んでいないため、乳糖分解酵素のラクターゼ不足の人でも、消化不良や下痢を起こすようなことがないので、格好の栄養飲料というべきである。
それに大豆の中にはリノール酸が含まれていて、コレステロールを減らし、血圧を正常にする働きがあり、また豆乳は、腸内にある乳酸菌の増殖に一役かっているほか、老化を防ぐビタミンEや、コレステロールと拮抗的に作用するレシチンなどを含んでいるので、申し分ない。
このように、欠くことのできないたんぱく源として日本人の体質に深く滲みこんでいる豆を、馴染みの少ない動物性たんぱくの肉に一挙におきかえることは、はなはだ危険なことといわなければならない。
そのうえ、消化吸収の面ばかりでなく、欧米人と違ってわれわれ日本人は米という酸性食を主食として摂らなければならない宿命にあるので、酸・アルカリ平衡の立場からも認容できない問題だ。いうならば、大豆たんぱく源の不足をおぎなう意味で、発育期の少年の肉食を考えるのが妥当だろう。
周知のとおり、わが国の大豆生産量は戦前と比較して大幅に原産し、需要の九割をアメリカ、および、中国に依存するという情けない現状である。もしも、生産国の国内事情とか、戦争などが起こって需要関係に異変がおこればたちまちわれわれのたんぱく源は枯渇する。そうした意味でも、大豆の自給自足は焦眉の急というべきで、農政にたずさわる人だけでなく、一般国民のひとしく関心ごとでなくてはならない。
資源がないため、加工輸出を宿命とする日本は、考えようによっては砂上の楼閣に似た脆弱性をもっている。だから、かりに凶作、地震、戦争などの有事のさいは輸入、輸出はもちろん、船舶の往来や運輸機構が一斉にストップした場合を考えると、かつてのトイレット・ペーパー騒ぎなどとは比較にならないくらいの混乱をまねくことは必至であろう。ことは生命にかかわる食料問題であり、豆や豆製品抜きで日本人は命がつなげるはずがない。
いったん有事のときは戦争当事国であろうと、中立国であろうと、他国などはあてになるものではない。そえだけに、最小限度のたんぱく源の自給自足を確保するのが当然である。「戦争は食料の奪い合い」から起こるものだからだ。条約なども一片の反古ともなりかねない世の中。家畜の飼料や、漁労の油はおろか、一片の肉や一匹の魚さえも口にすることのできない場合も想像できる
“備えあれば憂いなし”のたとえもある。せまいながらも日本の土地で、畑の肉といわれるかけがえのない大豆を、少しでも多く作るよう真剣に考えるべきである。

大いに牛乳を飲もう

牛乳は人乳に近い成分をもっているので、大人でも(とくに病人や老人にとっては)栄養のある飲み物だが、老人の間には、ひどく牛乳嫌いの人が多いようだ。牧畜の盛んな欧米の国と違って、昔から馴染みのないせいもあるが、敬遠される大きな理由は、牛乳の中にある乳糖を分解するラクターゼという小腸粘膜にある酵素の欠乏症が日本人にわりあい多く、いわゆる牛乳不耐症が(年少者ではやや少ないが)成人ではなんと20%以上もあるからである。
牛乳不耐症は、牛乳の中の乳糖が吸収されないため、腸内浸透圧が高まって小腸内に水分が移行して下痢便となる。また、大腸では乳糖が腸内細菌によってたくさん乳酸などを生ずるため、便が酸性となって水分の吸収をさまたげて下痢をいっそう強め、お腹が張ったり、痛かったりする症状となる。
このような牛乳アレルギーの人に、牛乳は栄養があり、またミネラルも含んでいるからといって、いくら奨めてみたところで飲めるはずがない。たとえ牛乳不耐症の人手なくても、統計上、日本人は外人に比べて牛乳に弱く、毎日一本程度は飲めても、欧米人のように平均六本も飲むような真似は、とうていできない相談だろう。
このように牛乳に限らず、肉の場合も、その他多くの食べ物に関しては、長い歴史の上で、それぞれの民族が、自分の周囲にできるものを取捨選択して、血肉として馴染んだものが、体質の中に深く溶け込んでいるのに反し、自分の周囲に無いものに対しては、不耐症を呈するものがかなりあるものと思われる。したがって、医学臨床の実際とかけはなれた栄養論は、理論としては大切でも、おいそれと無条件でいただくわけにはいかない。
老人に限らず、若い人々でさえ、人によっては牛乳やチーズのようなバタ臭さに馴染めず、反対に豆、豆腐、梅干、たくあんや糠漬け、みそ、しょう油にいたるまで、捨てがたいものとなっている理由を、原点に立ち返って、謙虚な気持ちで検討してみる必要があろう。

海の幸はミネラル源

わが国は島国だから、海とのかかわりが多いのは当然だ。しかも、細長い大小数多の群島だけに、海岸線の長いことでは世界有数の国ともいえる。したがって、豊富な海洋資源を手に入れやすく、魚介類はもちろんのこと、海草類にも恵まれて、まこと海の幸の宝庫ともいえる。
そのなかで、小魚では、シラス、ゴマメ、コウナゴ、イワシ、小アジ、サンマなどの海の魚はもちろんのこと、アユ、ワカサギ、ハゼ、フナ、ドジョウ、コイ、イワナ、ヤマメなど、川や沼に住む淡水魚も、また食卓にのぼらせることができるので、動物性たんぱく源として小魚は最たるものということができる。
これらの小魚は、頭から尻尾まで丸焼きや丸煮にして、骨ごと、鱗ごと食べられるのでカルシウムの補給には、もってこいの食品といえる。
当節は、二百カイリ問題などで遠洋漁業も制限されることが多くなったが、ブリ、マグロ、カツオなどのほか、クジラ、サメ、その他、深海魚などの大きな魚も、たんぱく資源として大きな役割を果たしている。
だが、刺し身や切り身として食卓にのぼる大きな魚類は、口にはおいしいかもしれないが、牛肉や豚肉と同じく酸生食であり、その食べすぎは健康を害する。猟師町に心臓病や脈管系の病気が多く、長寿者が少ないといわれるのも、そのためである。
ところで、最近は瀬戸内をはじめ、いたるところの海岸で、農薬や廃液などの公害騒ぎが続発し、近海漁業は危殆に瀕している。土佐沖のような大洋に面する海域ですら、遠く沖合いまで農薬の汚染がみられるというのだから全く困ったものだ。
一方、比較的安全と思われる近海には、外国船団まで大量漁獲にやってくるというのだから、まさに八方ふさがりといってもよい。汚染されない小魚は、わが国庶民にとって大切なたんぱく資源であり、しかも、重要なカルシウム源だから、われわれは手を尽くしてその確保に全力を注ぐべきであろう。
食卓にのぼる海草の主なものとしては、こんぶ、わかめ、ひじき、のり、おごなどがあり、いずれもカルシウムやヨードを含んでいるので、ミネラル資源の少ない日本人にとっては、大切な存在である。
ことに、こんぶやのりなどは、その味も格別良いので、だしやつくだにや和え物、酢の物などに好適で、広く利用され、しかも健康食といわれている。これらの海草類をたくさん食べる村落、たとえば、秋田県の戸賀村、三重県の長島町の大方、小方、栃木竈などでは、脳出血などの病気が目立って少なく、健康に恵まれて長寿者が多いのは、まさに海の幸のおかげというべきだろう。

カルシウム不足がもたらす酸性体質

以上、私は、酸性食である米、肉、切り身の魚、砂糖の多食がアルカリ食である野菜、大豆、小魚、海草類とのバランスを崩し、このような偏食が日本人を酸性体質へ追いやって、いろいろな病気の基となり、戦後、病気の絶対数の増加を示していることを指摘してきた。
とくにカロリー本位の考え方から、高たんぱく、高エネルギーという栄養論に拘泥して、戦後にわかに肉や甘いものが異常なまでに多用される食生活の乱れを認容する人の多いことには怒りさえも感じる。というのも、酸・アルカリ平衡を重視する立場から、人間本来の姿である弱アリカリ性体質を堅持することが疾病の予防と健康保持、あるいは疾病治療のため、何をさておいても優先されるべきだという信念があるからである。
ところで、わが国は火山国のあめ酸性土壌が多く、そのため野菜、その他の作物や水に至まで、ミネラル、とくにカルシウムが英仏などと比べものにならぬほど少なく、おまけに酸性食の白米を主食とするため、宿命的にミネラルやビタミンが不足しがちとなり、酸性へ傾きやすいことは明らかだ。
そこでカルシウムの多い食品の補給に全力投球すべきなのだが、おいしいからといって肉や白糖を必要以上に摂取して、血清中のカルシウム・イオンを低下させ、せっかくの予備アルカリを消費しつくして酸性へ、酸性へと体質を追いやって体調を崩し、疾病に陥る人の多いのは、たいへん悲しい現象といえる。
いまこそ真剣に食生活のあり方を検討し、日本人にとって何よりも大切な植物性たんぱく質である大豆の増産に努力すると同時に、とかく不足がちになるビタミンとミネラルの補給のために警鐘が乱打されるべきであろう。

疲労も酸性体質の一因

いくら食生活が正しくても、体の調子を崩すものに疲労と精神的な問題があることを忘れるわけにはいかない。いずれも、体質を酸性へ追いやるといわれているからだ。じっさい、都会地で朝夕ラッシュ時の通勤電車へ乗降するサラリーマンの姿は、疲労などという生やさしいものではない。われ先にと命がけで争う者にとっては、ボタンがとれたり、靴が脱げ落ちたりするなど、珍しいことではなく、押しつぶされそうになって悲鳴をあげたり、あるいはガラス窓がこわれて怪我するなど浅ましいかぎりだ。
やっとの思いで役所や会社にたどりついたところで、疲労のため筋肉内には乳酸が多量に発生し、おかげで頭の中はボーッとあり、能率は上がらず、しいて仕事を続けると居眠りを催すか、ミスだらけとなり、人体におよぼす疲労の影響は甚大といわなければならない。
それでも、若い人の疲労は、休養することによって、わりあい早く回復するが、老人の場合は、なかなかおいそれと元通りになれるものではない。
「若いものに負けてたまるか」などと口ではいっても、やはり年には勝てるはずはない。老人の場合は、ちょっとした作業でも疲れやすく、また、いったん疲れたが最後、なかなか回復しにくい、とロビンソンおよびアンドリュウの研究報告もなされているから、年寄りの冷や水にならないよう注意しよう。
ところで、筋肉労働の過労によってできた乳酸は、神経や精神面までも疲労させてしまい、反対に精神的な疲労やストレス、または心労などが肉体の疲労を惹き起こすことが知られている。まさに心身一如であり、色神不二ともいわれるわけだ。疲労やストレス、心労などは、すべて酸性体質へと傾き、反対に、適当な運動や休養、それに怒りを忘れた和やかな心は、アルカリ性体質へとそれぞれ影響を与えるといわれているので、常日ごろから、食べ物だけでなく、心身の疲労や自律神経の失調をきたさないように気をつけることだ。
これまでに述べたことを図示すれば、168ぺーじの図の通りとなる。

体質改善には電解イオン水《水素豊富水》が最適

戦後、日本人の生活が欧米の食習慣をとり入れて急速に変化し、酸性食の米、肉、白糖などのようにおいしいものの食べ過ぎから、体質が酸性へ酸性へと傾いていく人の多いことをこれまで指摘し、多くの病気、とくに内科的な病気の因はここにあることを強調してきた。これを防ぐためには、野菜や大豆、海草類のアルカリ食をつとめて多く摂るようにし、酸・アルカリのバランスを良くし、偏食によって酸性体質に陥らぬよう要人すべきことも各処でのべてきた。
というのは、人間本来の姿は弱アルカリ体質だからである。すなわち、体液も、血液も、また唾液や精液、にいたるまで、すべてPH(水素イオン濃度)7.2から7.4の間にあるのが普通であり、(PH7.35が理想的といわれる)、食生活の乱れから、この範囲を遺脱することは、天に向かってツバするようなもので、自ら体質を破壊して病気を招くことになる。
幸い、われわれの体内には予備アルカリが血清中のカルシウム・イオンのほかに骨や歯などにも預金されているが、美食家や偏食者が、酸性食をやたらに摂り過ぎると、あたら呼びアルカリ軍も使い果して、救いがたい酸性体質に陥り、いろいろな病気にかかる原因となることはすでに述べた通りである。
そこで、私は、酸性体質の人や虚弱な人はもちろんのこと、健康な人でも、電解イオン水《水素豊富水》を飲んで、人間本来の姿である弱アルカリ性の体質を保持して体調を良くし、自然治癒力という天与の抵抗力を強め、病気の予防や治療に役立て健康を積極的に増進することが、何よりも大切であると強調したい。
体質改善には「電解イオン水《水素豊富水》」が最適のキメ手となるものであることは、これまでにあげた治験例からも十分納得していただけるであろう。
考えてみると、好むと好まざるとにかかわらず、いたずらに反自然的な生活に没入し、太陽やっ空位、水もさることながら、「食は命なり」といわれる大切な食糧までも、生産から消費の過程で、農薬や工場廃棄物による汚染はおろか、保存や調理に名をかりて、加熱、発色、防腐、漂白、添加などの好ましからぬ加工によって、主食の米をはじめ、ほとんどの副食物が自然の姿をゆがめられて、栄養価も半減、あるいは消失しているのが現状である。
このような生活環境の中で、大切な自然食が失われ、四季感ボケした生気のない色あせた野菜や果物が横行し、そのうえ、偏食という食生活の乱れが加われば、医者よ薬よと騒ぎ立てることになるのは当然のことである。
この病根を絶ち切るためには、英断をもって予防医学を確立し、医師は患者の治療に際して、指導にもっと力を入れるようなシステムにし、世界に類のない薬好きな国民の頭を切り替えるげきではないだろうか。「電解イオン水《水素豊富水》」の効能を長い間調べてきた私は、いまこそ、その時期にきていると主張してはばからないのである。

あとがき

昭和52年の正月で、私は74歳の齢を迎えた。考えてみればずいぶん長生きしたものだ。平均寿命からみてもすでに元は取ったことだし、これからの人生はいわば“おまけ”で、まことにありがたい話である。だから、たった今でも「おまえさんの番がきたよ」と肩を叩かれれば、「ああ、そうかい」と、いとも簡単に返事ができるよう、覚悟だけはできているつもりだ。
しかしながら、である。そうと決まっても、まだまだ私には、遣り残した仕事があるのではないか、ということに気づくのである。それは医道を選んだものの一人として、一人でも多くの人に実行してもらいたいことがある、ということだ。
「それは一体何か」とお訊ねになる人も多いであろう。そういう人たちのために、若干抽象的になるけれど、ひとことだけ申し上げておきたい。それは「人間本来の弱アルカリ性体質を保持し、病気にかからぬようにすること」である。
俗に“薬より養生”という。養生とは、いうまでもなく体力、自然治癒力を最高度に発揮させるための基本的心がけであり、これさえ身につけておけば、たとえ病気にかかっても他人よりも早く治ることうけあいなのである。病気になってからあわてて治療するよりも、病気にかからぬための努力のほうがどれほど大切かは、ここで改めていうまでもないだろう。
治療医学よりも予防医学が急務であることは、現代医学のあり方からみて、だれしもが指摘しているところなのだ。
ところが、現実にはどうだろう。現代医学はたしかに病原菌追求には偉大なる役割を果たし、ルイ・パスツール以来、飛躍的な発展をとげてきた。しかしながら、幸か不幸か、病原菌追求に急な余り、ややもすれば自然治癒力を過小に評価してきたきらいがある。
そのため、感染症をのぞく大多数の疾患、たとえば慢性の胃腸病や高血圧、脳出血などの成人病、腎臓、肝臓、糖尿病などの全身病や心臓病、さらには湿疹、ぜんそくなどの一連のアレルギー性疾患、あるいは神経系のものもろの疾患など数えあげればキリがないほど多くの疾病の根本治療に手を焼いている。
いきおい、これらの疾患に対しては対症療法の域を脱しきれず、本質的なものを見失っている感がふかい。
さて、これら諸病のほとんどは、血清中のカルシウム・イオンが低下し、酸性体質となっているために、これを治さないかぎり、残念ながら治療のおおいなる進展は望むべくもないのである。
もっとつきつめていうならば、酸性体質を弱アルカリ体質に変えることこそ、治療の第一歩なのである。
では、どのようにして体質を変えるべきか。ここに、年来私の推奨する「電解イオン水《水素豊富水》」が登場する最大の理由が存在する。もちろん、ことさらいうまでもないが「電解イオン水《水素豊富水》」は万能ではない。
日常の食事の中でも、なるべく、米、肉、砂糖を減らし、青野菜や大豆、海草、小魚などのアルカリ性食品や自然食品を多く摂ることが、体質改善のための大前提である。この前提の上に立って「電解イオン水《水素豊富水》」を使用すれば、多くの治験例が示すように効果抜群、疑いなく体質が改善され、丈夫で健康な身体を維持することあ¥ができるのである。
「食は命なり」と昔の人は、じつにうまいことをいった。まさにその通りで、毎日の食物ほど私たちの生命を左右するものはない。その意味でも、自然治癒力、抵抗力の強い体質をつくるための食物の重要さがクローズアップされてくるのだ。東北大・近藤正二名誉教授の“全国長寿村食べ物調査研究”や阪大・片瀬教授の“酸・アルカリ食による動物実験”、さらにはハウザー食など、いずれも、こうした目的のために研究されたものばかりである。
おいしいからといって米、肉、切り身の魚、砂糖類の酸性食ばかりを食べないで、日本古来の自然食である野菜、豆、豆腐、小魚、海草類のアルカリ食をどんどん食べること。そして酸・アルカリのバランスのとれた正しい食生活を守ること、こうして、その上に「電解イオン水《水素豊富水》」を飲めば体質改善も用意におこなわれ、明るい日々を送れることは間違いない。
真の健康は、このような努力なしにはけっして得られないと断言してはばからない。
どれほど地位や名誉、財産があっても、心身に“難病”をわずらっていては、かりそめにも幸福とはいえまい。まことに健康ほどありがたいものはなく。生命ほど尊いものはない。
「生命と申すものは一身一代の珍宝なり。一日たりとも、これを延ぶるならば千万両の黄金にも過ぎたり」---個人の名言である。
病人が激増し医療が荒廃したといわれる現代においてこそ、私たちはこの言葉をじっくり噛みしめてみるべきだと思う。
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日々の診療や講演、その他の雑事にまぎれ、本書の観光が予定より大幅に遅れたことをふかくおわびしなければなりません。なお、お忙しい中を原稿をお寄せいただいた岡村、、渡辺、白石、服部、馬渕の諸先生には暑くお礼を申し上げる次第です。
また、電解イオン水《水素豊富水》愛用者による各種体験談をお送りいただいたシンノオル、ナチュラルウェア(株)、岡崎製作所、日精技研の方々には、本書の紙上を借りて改めてここで感謝します。
昭和52年7月
渋谷の寓居にて   著者


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各種表もアップしたいと思ってますが・・・。
国仲博士の略歴

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